製品開発や研究が走り出している一方で、知財の整理は「もう少し落ち着いてから」と後回しになっているスタートアップは少なくありません。目の前の開発やセールスを優先したくなる気持ちは自然ですが、知財は後から遡って整え直すのが難しい領域です。出願のタイミングを逃した、発明の権利が誰のものか曖昧なまま人が辞めた、重要なノウハウが「秘密」として扱われていなかった——こうした問題は、資金調達やM&A、IPOの審査局面になって初めて表面化することが多く、そのときには手遅れになっていることもあります。
本記事では、知財戦略を「立てて終わり」にせず実行につなげるために、事業の各段階で最低限整理しておきたい論点を、特許出願の方針、営業秘密の管理、職務発明規程、公表と出願の順序、ポートフォリオの考え方、そして知財デューデリジェンス(知財DD)への備え、という順で整理します。
特許で守るか、営業秘密で守るか——最初の方針判断
知財戦略の出発点は、「自社の技術や情報を、どの手段で守るのか」という方針の整理です。特許は出願・登録によって独占権を得られる強力な手段ですが、出願内容は原則として公開されるため、技術の中身を世の中に開示することになります。一方で営業秘密として秘匿する場合は公開されませんが、独占権は生じず、他社が独自に同じ技術にたどり着けば止められません。
実務では、次のような観点で振り分けを検討しておくとよいでしょう。
- 製品を解析(リバースエンジニアリング)すれば技術が分かってしまうもの → 公開されても特許で押さえる価値が高い
- 製造プロセスやアルゴリズムなど、外から見えにくく秘匿し続けられるもの → 営業秘密として管理する選択肢が現実的
- 事業の中核で、他社に模倣されると致命的なもの → 出願範囲・タイミングを優先的に設計する
問題になりやすいのは、この振り分けを意識しないまま「とりあえず全部秘密」あるいは「とりあえず出願」と一律に扱ってしまうケースです。あらかじめ技術ごとに守り方を整理しておくことで、限られた予算と人員を重要な発明に集中させやすくなります。
営業秘密として守るなら「秘密管理」が出発点
営業秘密として情報を守る場合、不正競争防止法による保護を受けられるかどうかは、その情報が法律上の「営業秘密」に当たるかにかかっています。同法第2条第6項は、営業秘密を「秘密として管理されている生産方法、販売方法その他の事業活動に有用な技術上又は営業上の情報であって、公然と知られていないもの」と定義しています。ここから、(1)秘密として管理されていること(秘密管理性)、(2)事業活動に有用であること(有用性)、(3)公然と知られていないこと(非公知性)という三つの要件が導かれます。
実務で最も争いになりやすいのが、最初の「秘密管理性」です。会社が「これは秘密だ」と内心で思っているだけでは足りず、従業員から見て「これは秘密として扱うべき情報だ」と客観的に分かる管理がされていることが求められます。具体的には、次のような対応を整理しておく必要があります。
- 秘密情報の範囲を特定し、「マル秘」表示やアクセス制限で他の情報と区別する
- アクセスできる人を業務上必要な範囲に限定し、ログ等で管理する
- 就業規則や秘密保持契約(NDA)で、従業員・委託先の守秘義務を明確にする
退職者が重要情報を持ち出したといった場面で、いざ法的措置を検討すると「そもそも秘密管理ができていなかった」と判明し、保護を受けられないことがあります。情報の量が少ない初期段階のうちに、最低限の管理ルールを作っておくことが後の備えになります。
職務発明規程——「発明が会社のものになる」前提を作る
技術系のスタートアップでは、発明を生み出すのは従業員である開発者やエンジニアです。ここで整理が必要になるのが、特許を受ける権利が誰に帰属するのかという点です。特許法第35条は職務発明について定めており、契約や勤務規則等であらかじめ定めておくことで、特許を受ける権利を初めから会社(使用者)に帰属させることができます。その代わり、従業員には「相当の利益」を与える必要があります。
規程がないまま発明が積み上がっていくと、権利の帰属が曖昧になり、後から揉めやすくなります。実務上のポイントは次のとおりです。
- 従業員数が少ない段階でも、職務発明規程を整備しておく
- 「相当の利益」の決め方について、従業員との協議・基準の開示・意見聴取という手続を踏み、記録に残す(手続が不合理だと、後に金額の妥当性を争われる余地が残ります)
- 業務委託のエンジニアや役員には職務発明規程が当然には及ばないため、個別の契約で発明の帰属を定めておく
特に外部委託で開発を進める場合、契約に発明・著作権の帰属条項がないと、成果物の権利が委託先に残ってしまうことがあります。誰が作った成果であっても権利が会社に集約される設計になっているか、あらかじめ確認しておくとよいでしょう。
公表と出願の順序——新規性喪失の例外は「保険」にすぎない
研究開発型の企業では、学会発表や論文、プレスリリース、展示会でのデモなどを通じて技術を外部に公表する場面があります。ここで見落とされやすいのが、公表すると発明の新規性が失われ、原則として特許を受けられなくなるという点です。
特許法第30条には新規性喪失の例外規定があり、発明者自身が公表した場合でも、公表日から1年以内に出願し、所定の手続(出願時の書面提出と、出願後の証明書提出)を行えば、その公表によって新規性を失わなかったものとして扱われます。平成30年の改正で適用範囲が広がり、SNSやウェブサイトへの掲載なども対象になり得ます。
もっとも、この規定はあくまで「保険」として位置づけるべきものです。手続を一つでも欠けば適用を受けられませんし、外国での特許取得を考える場合、各国で例外の取扱いが異なり、日本と同じようには救済されないことがあります。実務では次の点を押さえておくと安全です。
- 発表・公開の予定がある場合は、その前に出願できないかを最優先で検討する
- 公表せざるを得ない場合は、公表日と内容の記録(プログラム、スクリーンショット等)を必ず残す
- 共同研究先が先に発表してしまうリスクに備え、共同研究契約に公表の事前調整条項を入れておく
知財ポートフォリオ——「点」ではなく「面」で考える
個々の発明を出願するだけでなく、事業全体を守る「面」として知財をどう束ねるかという視点も重要になります。一件の特許を取っても、その周辺を別の角度から押さえられてしまえば、事業を独占的に展開する力にはつながりにくいためです。
ポートフォリオを設計するうえでは、次のような観点を整理しておくとよいでしょう。
- 自社の事業ロードマップと出願計画を連動させ、将来展開する領域も視野に入れる
- 特許・営業秘密・商標・著作権など複数の権利を組み合わせ、製品・サービスを多面的に守る
- 限られた予算の中で、どの技術を重点的に押さえるか優先順位をつける
知財ポートフォリオは一度作って終わりではなく、事業の進展に合わせて見直していくものです。定期的に棚卸しをして、使っていない権利の維持コストと、新たに押さえるべき領域を確認しておくと、投資効率を保ちやすくなります。
資金調達・M&A・IPOで効いてくる知財DD
ここまで述べた整理は、最終的に資金調達やM&A、IPOといった局面で「知財デューデリジェンス(知財DD)」として精査されます。投資家や買い手、引受証券会社は、その会社の技術が本当に会社のものとして守られているかを確認します。ここで整理不足が見つかると、評価の引き下げや、最悪の場合は取引そのものの見送りにつながることもあります。
知財DDで典型的に確認されるのは、次のような点です。
- 主要な発明について、特許を受ける権利が会社に集約されているか(職務発明規程・委託契約の整備状況)
- 営業秘密が秘密管理性を満たす形で管理されているか
- 他社の権利を侵害していないか、第三者から権利侵害の主張を受けていないか
- 大学や共同研究先との契約で、知財の帰属やライセンス条件が事業の継続性を損なわない形になっているか
これらはいずれも、直前になって短期間で整えるのが難しい項目です。だからこそ、知財戦略は「事業が大きくなってから」ではなく、開発が動き出した早い段階から少しずつ実行に移しておくことが、後の選択肢を広げることにつながります。
まとめ
知財戦略は、立案そのものよりも、日々の業務の中で着実に実行していくことに難しさがあります。特許と営業秘密の振り分け、秘密管理のルール、職務発明規程、公表前の出願検討、ポートフォリオの棚卸し——いずれも一つひとつは大がかりなものではありませんが、後から遡って整え直すのは容易ではありません。事業の段階に応じて優先順位をつけ、できるところから整理を進めておくことが、将来の資金調達やM&A、IPOの局面で効いてきます。自社の技術や情報の守り方に迷いがある場合は、早めに専門家に相談しながら整理を進めるとよいでしょう。
本記事は一般的な情報提供を目的としたものであり、特定の法律問題についての法的助言を構成するものではありません。個別の事案については、弁護士にご相談ください。



